ぼっち地獄のデスゲーム(わたしは誰でしょうゲーム編)

まず最初にバスレクはご存じだろうか。

バスレクとは修学旅行のバスの乗車中行われるレクリエーションのことだ。

 

ぼっちにとって修学旅行は修行だ。

一日中気を張らなければならない。

 

半日歩き回って、肉体的疲労とストレスを抱え

せめてバスだけはリラックスしたい。

 

そんな望みすら叶わせてくれないのがバスレクだ。

 

 

私が中学時代にやらされたのが

わたしは誰でしょうゲーム というものだった。

 

前もって好きな食べ物や趣味などを紙に書き

バスの中でその内容を読み上げ誰かを当てるゲーム。

 

正直これは真の陽キャしか楽しめない。

 

ぼっちの趣味など聞いて何が得られる。

何も得られないだろう。興味がないのだから。

 

ぼっちや陰キャはコミュニティが狭いので

すべての項目を読み上げられても当然気づかれない。

 

あの気づかれない時間は拷問だ。

自分は最初から自分だとわかっているからだ。

 

いっそ

「私です!早く殺してください!」

と言いたいところだがそんなことはできない。

ただ誰かが私の名前を呼ぶのを待つのみ。

 

 

またいつ誰がくるかわからない。

しかし全員読まれることは確定している。

 

そのため施設に移動するごとにゲームが開催され

そのとき読まれなかったとしても次読まれるのではないかという恐怖で

京都の美しい景色も迫力満点の恐竜博物館も歪んで見えた。

 

さらに私ではないのに私の名前を呼ばれるときがある。

一つ目の項目を聞いて自分じゃないと思っても気を抜けないのだ。

 

私はそのときテンパって司会が不正解という前に違うと言ってしまった。

 

 

これまで なんでもバスケット、ハンカチ落とし、わたしは誰でしょうゲーム

について書いてきたが、

これらは幼稚園児と生徒数が少ない田舎の学校と陰キャ、ぼっちのいない

平和な世界でしか成り立たないゲームである。

 

私は全国のぼっち小中高生の平和を守るため

この三大デスゲームをぶっ潰す勢いで今後真面目に生きていこうと思う。

男子校に行ってみて気づいたことがある

前回男子校文化祭レポを書かせていただいたが

そこで気づいたことがある。

 

イケメンが多い。

 

そう私が通っていた普通科高校よりレベルが高かった。

女装コンテストに出ていた人はもちろんのこと

色々なクラスを回ってみても明らかに多かった。

 

そして私立なので頭もよくお坊ちゃんが大半。

まさにハイスぺモンスター高校というわけだ。

 

 

なぜイケメンが多いのか。

 

恋愛において女性は男性をお金で見て

男性は女性を容姿で見るというのを聞いたことがある。

 

この理論が正しければ納得だ。

 

父はハイスペックでお金がある。

だから私立に通うことができる。

母はハイスペック男性を落とせるほど美人。

だからイケメンが生まれる。

 

よって私が行った男子校はレベルが高いという結論が出る。

 

もちろん勉強を必死に頑張って入学した人もいるだろう。

その人たちもすごく尊敬する。

 

ギターや司会がやけにうまかったのも努力家が多いということなのだろう。

また校内恋愛がないので余計なことに左右されず趣味に没頭しやすい環境だと言える。

 

つまり私は女子高に通った方がよかったのかもしれない。

 

高校生のうちに色々な趣味を見つければよかった。

共学にいたって彼氏ましてや好きな人すらできなかったのだから。

 

異性を気にして行動することもあったので今思うと無駄だったなと思える。

 

私は男子校の文化祭に行ってみて共学しかありえないという概念がなくなった。

もし過去に行けるなら中3の私に女子高も視野に入れろと言ってあげたい。

男子校文化祭レポを今更書くぼっち

私が高校生の時友達の誘いで超有名私立男子校の文化祭に行ったことがある。

 

といってもただ文化祭に行ったのではなく

友達の友達の友達が女装コンテストに出るからメイクをしてほしいとのことで

付き添いで行かせてもらった。

 

そして当日校内に入るなりいきなり女装コンテストのいわゆるライバルに

票を入れてくださいと押され流れで票を入れてしまう。

 

とにかく友達の友達と合流しなければとさまよっていると

次から次へと勧誘される。

 

 

ここはいろいろな意味でヤバイ

 

 

そこは女というだけで物凄く優遇される世界だった。

 

普段女のいない修行のような学生生活を送ってい男子高校生はきっと本能むき出しだ。

だが私はビビりながらも悪い気はしなかった。

 

 

そして友達の友達と合流。

準備をしているとKing Gnuをギターで弾いている男子がいた。

ギターのことはよくわからないが結構うまかった。

 

私はそのときKing Gnuにハマりつつあったので

化粧中いいBGMになって心地よかった。

 

コンテスト開始

司会が出てくる。

一人は普通の男子高校生。

もう一人が菅田将暉似の長身イケメンだった。

 

そしてその菅田将暉くんの司会っぷりもすごかった。

台本は持っていたがおそらく大まかな流れしか書いてなかったと思う。

台詞をそのまま読むのではなくその場に合った言葉選びができていた。

 

私は一瞬でファンになった。

 

 

出場者登場。

レベルが高い。正直舐めてた。

なかには堀が深く脚が細くて長いお人形さんのような人もいた。

 

完全敗北だった。

私が通っていた高校の女子よりも余裕で可愛かった。

 

ちなみに私たちが化粧した男子は正直かわいいとは言えなかったが

一番女子になりきっていてとてもよかった。

 

 

結果発表まで時間があるのでクラスを回ることにした。

だがどこもかしこもボードゲーム、カードゲームばかり。

 

後々気づいたのだがこれはすべて女子と話すためだけにある。

 

だが実際やると案外楽しい。

疑似コンパのようなものだろうか。

普通科高校では体験できない今まで味わったことのない楽しさがあった。

 

 

そしてコンテストの結果発表。

結果はまさかの2位。

1位は組織票も含まれているので実質1位だった。

私たちがメイクした男子の親御さんにも感謝されやってよかったなと思った。

私の中ではあの菅田将暉くんが優勝だったが。

 

その日はとても充実した濃い一日だった。

 

男子校の文化祭は人生で一度は行くべき場所である。

ぼっち地獄のデスゲーム(ハンカチ落とし編)

私がこの世で一番嫌いなゲーム、ハンカチ落とし。

ハンカチ落としは陰キャ陽キャ関係なく地獄だと思う。

 

ルールを簡単に説明すると

円の中央を向いて座り後ろに手をやる。

ひとりは座らずハンカチを持ち座っている誰かひとりに授ける。

受け取った者は立ち上がり逃げるハンカチ授け人を追いかける。

タッチできなければハンカチ受取人が授け人となる。

この繰り返し。

 

よっぽど足が遅くない限りタッチできない仕組みになっている。

つまりハンカチを受け取ったら授け人になることはほぼ確定なのだ。

 

よってみんなが共通して思うのは

「ハンカチを自分に授けないでくれ」だ。

 

こう思っているせいで追いかけっこ中の二人に注目することができず

全く盛り上がらない。

 

シーンとした空気で追いかけっこするのだ。

こんなの耐えられるわけがない。

 

それが嫌でみんなはハンカチを授けるなと思うという

負のループができてしまう。

 

またこのゲームは条件なしでやると友達同士でハンカチを授けあってしまう。

私はそっちのほうが気が楽だがそれだともちろんゲームが成立しない。

 

なので必ず男→女、女→男 でハンカチを渡せと言われる。

ストレスがすぎる。

 

当たり前だが私には男友達なんていないので仲良くもない男と追いかけっこ。

しかも盛り上がらない。

地獄にも程がある。

 

さらに運動神経のいい奴ほど足の遅い子を選ぶ。

その子を授け人にすれば受け取ってもタッチしやすくなり

授け人にならなくてすむということなのだろうか。

 

だが連続で授け人をやらされている子はどうもタッチしにくい。

本人の気持ちを想像すると胸が締め付けられる。

 

なぜハンカチ落としは現代にまだ存在することができるのか。

 

疑問に思った私はYouTubeでハンカチ落としと検索してみた。

 

そもそもハンカチ落としの狙いは何なのか。

どうやら集中力を鍛えるのと体を動かすことが狙いらしい。

さらに4~5歳が対象とのこと。

 

私は中学生の時にやらされた。

そもそもここから間違っている。

集中力を鍛える、体を動かすという点においても

 

わざわざハンカチ落としである必要はないし

もっと言うと中学生ならある程度集中できるし運動もしている。

 

では4,5歳の子はどうやってハンカチ落としをしているのか。

動画があったので見てみた。

 

するとそこにはシーンとした重い空気はなく盛り上がっていた。

ハンカチをもらわなかった人は

 

「○○君がんばれー」 「速く!速く!」などと言うのが正解らしい。

 

確かになと関心した。

 

だが冷静に考えてそれは幼稚園児だから成立するのであって

小学生からは通用しない気がする。

 

つまりこのゲームは純粋な園児にしか受けず中学でやるなんて論外

ということがわかった。

 

この事実を知って少しあのときのトラウマが和らいだ気がする。

 

私は二度とハンカチ落としはしない。

 

そう心に誓った。

恋愛している自分がキモい

私は人生で一度も彼氏ができたことがない。

もちろん欲しすぎて夜中暴れたこともあるが今はいらないという気持ちの方が強い。

 

なぜかというと恋愛している自分が気持ち悪いからだ。

 

小学6年生

あの時は私史上一番の黒歴史だ。

今でいう男大好き自称サバサバ系女だった。

あることがきっかけで男友達ができそこから調子に乗ってしまった。

色々な人を傷つけた。

 

そんな過去があるので好きな人ができても昔を思い出して罪悪感が残る。

そこから自分を気持ち悪いと感じてしまうのだ。

 

あとは単純に彼氏がいる自分を想像できないという点だ。

小学6年のときに両思いになった人がいたがその人に対して重いメールを送って自然消滅したことがある。

 

自分にもし彼氏ができたら知らない自分が出てきそうで怖い。

恋は盲目という言葉があるが私はこの言葉が恐ろしく感じる。

 

付き合ったら当然イチャイチャもするんだろう。

しかし私は付き合ってからすることもろもろしたいと思わない。

 

妄想で十分なのだ。

妄想と現実は違う。だから失望したくない。

 

あとは知識を得すぎたという点もある。

これは完全に自分のせいだが好きな人もいないくせに男がやる脈あり行動だの

脈なしLINEだのありとあらゆることを知り尽くしてしまった。

 

その結果こう思ってるんだろうなと自分で納得して

それが脈ありなし関係なしに冷めてしまうのだ。

というか飽きてしまう。

 

飽きてしまうのは恋愛は付き合う前が一番楽しく

付き合ったらゴールという持論も影響していると思う。

 

本来何も考えずに好きという感情が生まれるものが

私の場合好きになる前から色々考えてしまう。

だから私は恋愛ができない。

 

この先一度も彼氏ができずに死んでいくのだろうか。

 

だったら逆にすごくないか。そんな人今までいるのだろうか。

ここまでくると変にポジティブになる。

 

私が人類初、誰とも付き合えなかった女としてギネス

いや歴史の教科書に載る日も近い。

ぼっち地獄のデスゲーム(なんでもバスケット編)

私は以前ドッチボールを散々批判したが実は他にも嫌いなゲームがある。

今回はなんでもバスケットだ。

このゲームは陰キャ、ぼっちにとって地獄のゲームなのだ。

 

なんでもバスケット。

 

ルールはフルーツバスケットとほぼ同じ。

お題はフルーツではなく何でもありだ。

上履きが赤の人、今日朝ごはんを食べた人など。

 

私がなぜ嫌いなのかというと

椅子に座れなかったものはクラスメートの円の中心に立ちお題を言わなければならないからだ。

 

人気者や陽キャはクラスメートにいじってもらえるが陰キャぼっちはどうだろう。

いじる間柄ではないため誰も何も言及せず微妙な空気が流れる。

あれが死ぬほど嫌なのだ。

 

あれはまるで処刑台に立たされる死刑囚だ。

30人余りの視線。

無言の圧力。

 

「あいつとはそんな仲良くないからなんて言っていいのかわからん」

 

クラスメートの心の声が私には聞こえる。

 

どうしても死刑囚になりたくなかった私はとにかく座ることに必死だった。

今日朝ごはん食べた人など噓をついてもバレないお題はとことん噓をついてその場にとどまった。

 

その時の私に罪の意識なんてなかった。

生き残るためだ。そう自分に言い聞かせて。

 

だがこのゲームにはデスワードが存在する。

 

それは

 

「なんでもバスケット!」

 

これが発せられたとき全員が生き残りをかけてイスを奪い合うのだ。

そのときのクラスメートは誰一人として理性をなくし

生き残りたいという思いだけで動く。

そこに譲り合いの精神もクソもない。

 

そんな思いまでしてやるべきゲームなのか。

このゲームになんの学びが存在するのか。

野生の心を思い出させるためか。いやそんなの知る必要ない。

今すぐ禁止するべきだ。

 

今回はなんでもバスケットについて語らせてもらった。

こんな思いをしているのはきっと私だけではないはずだ。そう信じる。

 

褒められたとき自画自賛で返す人の対処法がわからないぼっち

友達に褒められたとき謙遜する人、素直にありがとうと言う人どちらが印象がいいかと聞かれたら正直どちらでもいい。

私が嫌なのは褒められて自画自賛するタイプの人だ。

 

例えば

私「よくこの問題わかったね!」

友「俺頭いいからwww」

私「」

 

この後なんと返せばいいのか私にはわからない

 

「いや頭よくねーだろ!」というツッコミはおかしい。

なぜならこっちが先に仕掛けているからだ。

 

かといって「そうそう!本当に頭いいよね!」なんて言えない。

なんかもうこの時点で気持ちが冷めているからだ。

ここまでテンションを持っていくことができない。

 

よって「うん...」と言うしかないのだ。

 

自画自賛タイプの心理は一体何なのだろう。

面白いと思ってやってるのかそれとも謙遜すると嫌味だと思われる。でもありがとうはなんか照れくさい。という複雑な思いを秘めているのか。

 

後者ならまだ気持ちはわかる。

が、もっと厄介なのはこれだ。

 

友「俺満点だった。」

私「え!すご!」

友「俺頭いいからwww」

私「」

 

自分から仕掛けてきて自画自賛は本当にどうしていいかわからない。

単にウザこいつで終わればいいのだが

私の場合なんて返せばよかったんだと反省会が開催されてしまうのでなるべく控えてほしいというのが正直なところだ。

 

そもそも謙遜する人は嫌味だという風潮が問題なのかもしれない。

謙遜にも色々ある。

よっぽどの人じゃない限り嫌味だなんて思わないので

もっと積極的に胸張って謙遜してもいいと思う。